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私共和国《訳読》― 第8回


“ボケ”ずに生きる

どうすれば脳の健康を保ち、認知症を予防できるか


第8章
使うか失うか ― Part 2 : 実践


 認知症予防の 「三つの要点」
 社会の人たちからよく尋ねられる質問があります。 「認知症にならないために、どんな活動が最適なのですか」。実際に国際的な文献を細かく調べてみると、理想的な選択として、趣味とか暇つぶしを挙げる人は誰もいなかったことを言わねばなりません。
 しかし、他のものより効果的でありそうな活動として挙げられたものには、ひとつのパターンがあります。つまり、そうした種類の活動には、共通して、三つの必須要件があることです。しかし、認知症の予防の三つの要点を考える前に、ある最新のネズミ類の研究を見てみることが必要です。
 前章で述べたように、環境条件向上とは、ある動物を、いつも 「退屈」 な住居とする籠の中から、もっと広く、通常、同僚とか、おもちゃとか、回転輪とか迷路などをそなえた、いっそう刺激的な環境の中へと移すことにありました。このことをもっと分析してみると、環境条件向上という操作は、すくなくとも、以下の三つの要素を含んでいたことに気が付きます。すなわち、(1) 社会的刺激――なぜなら、その環境には他の同居仲間がいた。(2) 身体的刺激――なぜなら、ことに回転輪の追加のように、総体的な活動が増加した。(3) 認知的刺激――新しいおもちゃや迷路などを経験することによる新たな精神的課題が加わった。
 南フロリダ大学のゲリー・アレンダッシュ(Gary Arendash) 教授は、伝統的な環境条件向上のこの三つ又の要素を指摘し、あるたいへん巧みな実験の中で、これらの要素を特に課すこと試みようとしました36。彼はまず、遺伝的に操作した 「アルツハイマー病ネズミ」 を使い、通常の住居から、いくつかの違った環境の住居へと移しました。 「社会的」 グループは、たくさんの同居仲間のみを持っていました(しかし、回転輪やおもちゃや迷路はなし)。 「身体的」 グループは、回転輪のみが加えられていました。そして、 「認知的」 グループは、迷路とおもちゃのみが与えられていました。興味深いことに、そこには第四のグループがあり、それは、こうした三つの要素がすべて備えられていました。つまり、それは、完璧な環境条件向上のもとにあったわけでした。この研究を終える際に、人間の認知症との直接の関連をもたせて、三つの結果が測定されました。すなわち、(1) アルツハイマー病状の進行、(2) 記憶能力、(3) シナプス数、です。その得られた結果は鮮明でした。すべてのグループは、通常住居のグループに比べ、一定の効果をえていましたが、完璧な環境条件向上グループのみが、 「三重効果」 、つまり、アルツハイマー病状の遅れ、改善した記憶数値、そしてシナプス数の増加、を獲得していました。
 驚くべきことに、そして、私のような者には知的満足すらもたらしてくれたことは、同様なパターンが、人間を対象とした調査にも現れたことです。社会的、身体的、そして認知的活動に取り組んだ高齢者は、複雑かつ強度ある活動に取り組まなかった人に比べ、認知症にならない傾向がありました。したがって、確認しておくべきことは、あなたが認知症にならない可能性を最大にする三要素は、強い、社会的、身体的、そして、認知的要素をもった活動をすることです。
 熱心な読者はすでに察知しているように、たとえば、いくらかの身体的活動もない純粋な社会的活動など考えられません。一方、社会化してゆくには、いろいろな、考察、計画、対処、予測などなど、すなわち、認知行動が避けられません。これは、疑いようのないことです。しかし、私が言いたいことは、いくつかの活動には、他の活動より、この三要素すべてを強化するものがあります。それこそ、私たちが取り組むべき活動です。
 

 
実際的になろう
 私たちは誰でも、経済的な面では、相談したり演習したり、強制されたりもして、リタイアメント生活を計画します。本書の核心は、私たちは、リタイアメント生活を、 「脳の健康」 の面からも同様な関心をそそいで計画すべきである、ということです。結構な年金支給をもって65歳となり、リタイアしてゆくにあたって重要な点は、たとえば、自分が5年かそこらで、ボケてしまっているのかどうか、ということです。
 きわめて積極的なビジョンを言えば、私たちは、リタイア後の20年ほどの期間のすべてにわたって、楽しい人生を送ることです。そしてこれを実現するためには、私たちは、現役時代の仕事の固有の要素であった、社会的、身体的、認知的活動――そして通常、現役生活の50パーセント以上を占めていた――を、新しい活動にも取入れて、そこに、社会的、身体的、認知的要素を込める必要があるのです。これが、リタイアにあたって 「脳の健康」 面から計画しようと私が言う意味です。さらに言えば、私たちは、この計画を、今から直ちに行うべきなのです。
 私がここで言わんとしていることは、誰もが毎日、 「マインドゲーム」 にいそしみ、ジムで鉄アレーを持ち上げ、夜にはジャン卓を囲む生活を際限なくし続けるべきだというのではありません (しかし、もしこういう生活に魅力を感じるなら、気兼ねなく実行してください)。あなたのリタイア生活に計画されるべきどの活動も、あなたにとって面白く、興味をわかせ、楽しみをもたらすものであるべきです。その理由は、そうした活動がどのようなものであれ、残りのあなたの人生に、ただ、認知症に対しての効果の最大化を計ること以上のために、それは継続されるべきものであるからです。以下は、そのための選択枝であり、私の分析です。

 1.仕事を続け、そして、それが好きであること
 しだいに一般的となっている選択枝のひとつは、実際のリタイアは必要ないことです。つまり、ただそれをパートタイムへと軽減し、そしておそらく、収入のために働くことをやめる事です。この傾向は、その行ってきた仕事が良好なもので、それが好きで、そして、それが止められない人たちに広がっています。彼らは、たいてい、名誉相談役(無給の場合)として働くか、あるいは、従来の仕事のまわりで、問題解決役として、困難な事項に専門的助言を与えたりしています。こうした働き方は、 「脳の健康」 の面で重要であるばかりでなく、そうした 「生きた財宝」 が自由に使えるという意味では、社会や経済にとっても、大きな利益となるものです。
 ただ、こうした試みのマイナス点は、そのもとの仕事がその人にとって、ことのほか知的性格をもち、身体的や社会的要素が無視されがちなことです。こうした場合、そのセミリタイアの生活に、新たに、趣味や余暇の要素をいれて、その欠落を穴埋めすることが肝要です。
 最近現れた革新的な方法は、ブリスベンの事業家、ケン・マゴフィン (Ken Magoffin) が始めているものです。彼はウエブサイト <www.greynomadsemployment.com> を立ち上げ、 「白髪の放浪者」 ――退職後の人生の夕暮れ時を、国内や世界を旅行している約5万人のオーストラリア人――を扱っています。このウエブサイトの背後にある考えは、もしあなたがこうした種類に属し、地方やいなか町で一定の長さを過ごそうとしている時、その休暇の時間と、あなたの才能や技術を必要とする仕事がマッチするかもしれないという機会を提供するものです。そうした旅行者と使用者がオンラインで出会うことができます。それは簡単な考えですが、力強い構想です。

 
2.再び、のめり込んでみる
 あなたは、仕事、子供、両親、ペットなどのもたらす忙しさや、もとの単純な人生がその実現を妨げてきた、趣味や情熱をお持ちではないですか。そうです、リタイアメントは、そうした活動に再びのめりこむ、いい機会です。ただ、そこで確かめておくべき要点は、上記の三つの要素がすべて含まれていることです。そして、もし、あなたの選んだ余暇活動が、この三要素の点で何らかの弱みがあるなら、それを修正し、補いましょう。
 では、たくさんの人たちがその生涯をつうじて取り組み、育てている情熱、造園、について見てみましょう。私の (限られた) 経験では、造園は強い身体的要素を持っています。それはまた、認知的要素も持ち、どの参加者も、計画、点検、判読、比較、などなどの活動に関わっています。しかし、造園が他者との社会的要素に関係しているというのは、あまり通例ではありません。そこで、造園ファンへの私のアドバイスは、造園クラブや協会、あるいは、ボランティアのコミュニティー農園――自宅の造園をしながら――に加わって、定期的に、他の造園愛好者と会う機会を作り、たがいの造園についてや、最新の流行や情報、予定されている造園展示会や催しについて話を交換したり、そして人々が集まった時に交し合う、あらゆる事柄について歓談しましょう。そうです、とても簡単なことです。

 
3.情熱をわかす時
 リタイア後、パートタイムの仕事を続けるという考えは、度を過ぎることのように、人を引き付けるものですが、決して、議論してきた真の趣味や余暇活動をもてるようにはなりません。ですから、あなたは、何かについての情熱を得る必要がどうしても必要です。しかし、それは何でしょうか。ここに、その三要素をたっぷりと満足させる、四つの推薦項目があります。

 
ダンスを習う
 ジョエ・ヴェルギース (Joe Verghese) 教授とその同僚は、2003年、権威ある New England Journal of Medicine に、ある研究についての報告を掲載しました。その研究は、469人の精神的健康を5年間にわたって追跡調査したもので、ことに、認知症の危険に関連する因子になるかどうか、9種の身体的活動との取り組みを調べました37。認知症の危険を下げることに効果のあったのは、どの活動であったでしょうか。それは、ダンスです。
 学生時代からの熱心なサルサダンサーとして、私は、ダンスがそのために多くをなしていると、実際に思います。では、前記の三つの要素から、それを分析してみましょう。明らかに、ダンス教室に参加し、相手のあるダンスを練習することは、社会的経験であり、それに明確な点が付きます。同じように、それはきわめて身体的で、誰でも、一晩参加してみれば、それは確認できます。これで、二つ目の点が加わります。
 しかし、認知要素についてはどうでしょうか。もしあなたが一度もダンス教室に行ったことがなければ、それが精神的にどれほど大変なことかは想像できないでしょう。第一に、自分の身体をいかに動かし、協調させてゆくかを習い、今まで試したことのなかった動きを幾度もやり遂げなければなりません。次に、最初は、クラスの時間中に再現するため、短期記憶に入れておかねばならない複雑に連続した動きがあり、そしてそれは、次のクラスの時間の際、再び練習しなおさなければならぬことにならぬよう、長期記憶にしておかなくてはなりません。そしてやがて、長期記憶からそうした連続的動きを努力し意図的に引き出すことは、自動的運動記憶がつかさどる、努力のいらぬ動きへと変化します。そして、ビートやリズムを受け取るや、パートナーの動きや意図が予想される、などへと至ります。やさしそうに見えますが、時に、大変に難しいのです。このように、ダンスを習うことは、強い認知要素を伴い、したがって、この余暇活動は、三要素を適切に満たすこと以上を意味しているのです。ところで、それは極めて面白く、よくビギナーがはまり込むこととなり、さらには、あなたは美しい人たちとダンスすることともなるのです。これ以上の説明は必要ですかな。

 
太極拳を始める
 武道を習うことは、いくつもの点でダンスを習う時と似た形で、三要素を満たします。むろん、それが身体的であることは自明です。また、強い社会的要素も持っています。すなわち、いずれかの道場、あるいは武道学校へ行き、強い同志意識や内輪の冗談、肩をたたいた激励、力んだ説明などに注目せずにはいられません。したがって不可避的に、ある学校の生徒たちは、クラスの後や祭礼の後には、互いに交流をもつこととなります。きつい身体的訓練をともに忍耐することは、特異なタイプの仲間意識を育てます。また、認知的要素も、ダンスと同じように強く、同様な短・長期の記憶を駆使し、しだいに自動運動記憶へと変換してゆきます。ちなみに、ブルース・リーが驚異的な武道家であったばかりでなく、深い思想家でもあり38、さらに、1958年の香港チャチャチャダンスのチャンピオンであったことも、偶然のことではありません。多くの武道はまた演習を必要とし、そこでは、反応時間と速度が磨かれそして最適化され、多くの 「脳ジム」 ビデオゲーム(第7章の焦点を参照)に見られたように、情報処理速度訓練の別の事例となっています。
 ただ、 「対決型」 の武道は、そうしたものを一度も経験したことのなかった人には、高齢になって始めるものとしては適切ではありません。たくさんの 「ソフト」 な武道があり、いずれも、脳の健康への効果が期待されます。例えば、太極拳は、千以上の動きを学ぶものです。私は、大がかりな記憶訓練なしに、どのようにそれが達成されるのか、誰かに説明してもらいたいと思っています。太極拳はまた、呼吸の制御を強調しており、それは健康一般にも効果的で、ストレスへの対策としても極めて有効な技ともなっています。ですから、外に出て、武道にこころみ、認知症打倒三要素道の師匠となりましょう。

 
ヨットを走らす
 この世で、セールをふくらませ、風をとらえ、波立つ海を渡ってゆくことほど、満足感を味わうことはないでしょう。そして、リタイア後、この技術を学び実行することは、なんと有意義なことでありましょう。
 私がヨット乗りをそんなに好む理由は、それがもたらす、ロマン、快楽主義的高揚、勇敢な動作、そして知的挑戦が醸し出す、ほとんど昇華するほどの味わいによります。従って、もしあなたが誰か他者ととヨット乗りをするなら、身体的、社会的要素は充分に提供されます。しかし、知的要素はどこにあるのでしょうか。それは、実際に、あなたがどれほど深くそれに打ち込むかにかかっています。もし、あなたが乗客の一人として甲板席に陣取って満足なら、あなたの脳は、簡単に自動操縦に切り替わります。しかし、もしあなたが操舵手となったり、その訓練を始めようとするなら、それこそ、数限りない訓練事項、知識、技術、そして豊富な探検談と遭遇します。それは、シドニー湾のような安全な海域での気楽なレジャー航海でも、船体保全、基本的操縦法、緊急対策、基礎無線操作、海路図判読、操船、羅針盤読みなどの知識が求められます。そして、もっと高度になろうとすればするほど、知らなければならないことは増えます。例えば、外洋航海士は、星を見て航海できる必要があります。

 
頭脳的ランニング
 私は、シドニーのホーンズビー病院の老人医学専門医、スー・カーリ (Sue Kurrle) 教授から、彼女の最愛の余暇の過ごし方を教えてもらうまで、この運動を知りませんでした。より一般的にはオリエンテーリングとして知られるこの頭を使うランニングは、個人やチームが地図と磁石を手に参加して、自然の中で繰り広げられる競技で、A地点からB地点へと、その速さを競います。そしてその途上、競技者は、もし最短のルートが走破困難だったり急な地形が予想され、迂回したルートの方がより早いと判断される場合、走りながらその判断が求められます。基本的に、それは、前章で述べたネズミの環境条件向上に大変近い、人間向きの活動です。したがって、オリエンテーリングは前述の三要素に関して言えば、最高点がもらえます。明らかに、それはまた極めて競技的かつ熱中しがちで、その最中、どういう人と出会うか、誰も予想できません。カーリ博士曰く、


枠外を考える

精神的健康を維持する現実世界の例


 
男の作業場
 静かな革命が、退屈な郊外住宅地にくらす大勢の退職者たちを魅了しています。 「男の作業場」 は、大工、木工、金属加工、その他の便利屋業などといった、簡易な 「伝統」 技能を身につける場です。現在、オーストラリア全体で、200以上の 「男の作業場」 があります。こうした裏庭余暇活動に課される行動規範はありませんので、監督や安全問題については、慎重に考慮される必要があります。 でもそれ以外では、新たな技能を学ぼうとする精神や、それと同時に、他の男たちを誘い、また、身体的な機会も得たいとする向きには、それはまたとない挑戦の場です。あなたの隣近所の誰かを見つけたい場合は、以下のウエブサイトから、容易にできます。
 <www.mensshed.org>

 
射撃クラブ
 バート・ボウデン (Bert Bowden) は、過去35年間にわたり熱をあげてきたライフル射撃スポーツについて、私に手紙をくれました。彼は、1994年のコモンウェルス競技会で金メダルを獲得しました。1982年のコモンウェルス競技会の金メダル獲得者、アーサー・クラーク (Arthur Clarke) は、その時、62歳でした。現在、彼は80歳代だが、頭はいまだにさえています。
 競技としてのライフル射撃は、強度の集中力と計算を必要とします。バートにとって、いつも何か学ぶものがあるとあると言います。それはまた、高齢者層に大変人気があり、年齢制限のない競技会より、60歳以上の競技会の方がより熱をあげて競い合っています。つまり、射撃競技は、認知、社会、身体のすべての三要素をうまく満たしています。
 ひとつの逸話ですが、バートは興味深い話を紹介してくれました。即ち、オーストラリアや世界のいろいろなライフル射撃クラブに属す何千人ものメンバーと彼は連絡を取り合ってきましたが、精神能力の減退を理由に、誰もそのスポーツから引退していないということです。

 
アウトドア冒険
 ニュージーランド北島出身のジョン・フレミング、79歳は、カヤック旅行を計画し、実行するのを愛好しています。彼はもう、数日から数週間にわたる、何十ものそうした旅行をしてきています。その多くはグループでパドルを漕ぎますが、時には、彼は自分に一人の挑戦を課し、かなり長い単独の旅を実行します。
 どのアウトドア探検家もそうですが、そのためには、綿密で熟考した計画が不可欠です。以下は、彼がひとつの旅を計画している際に考える必要のある項目です。
 明らかに、ジョンはおそらく、実際のアウトドア冒険の際にも、出来る限りの思考の時間をとっているようです。従って、精神的と身体的活動の二要素は良好で、充分に対処されています。ただ単独の冒険は、自分自身のロマンと高揚には富んでいますが、脳の健康の点では、グループの冒険の方が、認知症予防のための社会的活動の要素がいっそう顕著な方法でしょう。

 10項目の提案
 ことに思いつくことのない場合、以下は、三要素を混ぜ合わせた、他の諸活動です。


 どれほどが必要か
 なにごとも、やり過ぎは問題を起こします。しかし、どこからが、やり過ぎなのでしょうか。では、この問題にのぞむ前に、精神活動と認知症の危険との関係について、重要な点があります。これが、服用依存効果という概念です。その意味は、第7章で述べたような多くの大規模調査の際、対象者の精神活動の段階の上昇ごとに、認知症の危険のそれに釣り合った下降がありました。一例を上げますと、先に述べた研究で、当初、認知症をもたない469名の高齢者を対象に、その経緯を5年間にわたって追跡調査しました。調査の開始の段階では、すべての対象者が、6種の認知活動に参加している頻度を聞かれ、それぞれが三つのグループ――高度、中度、低度の活動――に分類されました。新たに認知症を発症した低度は、中度のグループが、低度のグループの50パーセントでした。その高度グループは、低度グループのわずか33パーセントしか発症しませんでした。
 明らかに、出来る限り活動的であることの効用が認められ、三要素の原則に沿うことが想起されます。しかし、活動的であることが、乱用され、ストレス的で、過度な負担となり始めると、脳の健康という面では、逆効果となります。というのは、それが脳を保護するというより、むしろ、脳への弱い毒素であるコーチソルを産生し、脳を傷つけることになるからです。私が与えうるベストの助言は、それを楽しんでいられるだけを行いなさい、というもので、自分自身の平衡感覚の維持が大切です。私たちは誰も、休息とリラックスと、ただ何もしていない時間が必要です。
 そこで、論理的には、 「いま、どれだけが必要なのか」 という質問が上がってきます。私が自分の博士論文でこの分野を研究した時、私は、人々の生涯にわたる精神活動の程度を包括的に測る適切な方法がないことに気付きました。私たちはそこで、私たちは、Lifetime of Experiences Questionnaire (LEQ) 〔生涯体験調査票〕を作成しました (本章末の 「焦点」 参照)。このLEQはオンラインで入手できます。15分以内で、あなたは、自分の現在の精神活動レベルが低度か中度か高度かが判定できます。


 
人徳循環
 この 「使うか失うか」 の章のたいへん明快な要点は、三つの要素、つまり、精神的、身体的、社会的に活動的であり続けることで、私たちは、認知症にかかる確率を減らし、そして、それらを維持して、自分の人生の意味と幸福度をたかめうる、というものです。私はそこで、これを 「人徳循環」 と呼びたいと思います。図-6 は、それを簡単にですが力強く図示したものです。


   図-

 「人徳循環」 は、精神的、身体的、社会的活動との三要素が、一連の脳の変化をもたらし、それが認知症の危険を減少させ、そして、そうした活動をさらに持続させることを可能にすることを表したものです。





焦点――精神活動レベルのテスト



多くの人たちが、自分の精神活動レベルが、他者とどのように較べられるのかを知りたいと思っています。LEQ 〔生涯体験調査票〕 は、こうした目的のために考案され、ある個人が生涯にわたって築いてきた複雑な精神的取り組み全体を評価します。この調査票は、65歳以上かすでにリタイアした人をその対象とし、その体験を、早期成人期、中年期、高齢期と分類します。また、対象者の教育、職業、そして複雑な精神的、余暇的取り組みについても、こうした各期ごとにすべて評価します。
 LEQ は、総体的得点と、上の三時期ごとの副得点を出します。もちろん、すでに過ぎてしまった若い頃の経験についてはどうしようもありませんが、しかし、現在のそれについては常に引き上げたり、精神的活動を強化することがが可能で、いかに高齢期の副得点を変えうるかを確認でき、したがって、総体的得点もそれに応じて変わります。
 総合的得点はパーセントとして表示され、それだけの割合の人たちがあなたの下に居るということです。つまり、もしあなたの得点が50パーセントだとすれば、あなたは完璧に平均的で、あなたの上に50パーセントの人が、あなたの下に50パーセントの人がいるということです。また、もし75パーセントであったとすれば、あなたは上位25パーセントにいるということで、90パーセントの得点なら、あなたの上には10パーセントの人しかいないということです。また逆に、20パーセントの得点は、80パーセントの人たちは、あなた以上の頭の働きをしている、といことになります。
 その基本的考えは、LEQ 得点が上がることは、よりよいというものです。私たちが論じてきたように、より高いLEQ は、今後の認知変化がより少ないばかりでなく、脳の収縮を遅らせることを予期しています。一般的な目標として、私は、可能なら、総体的得点を65パーセント以上に上げることをお薦めします。
 LEQ を試すには、<train.headstrongcognitive..com/leq.aspx>を開いて、その指示に従ってください。それは無料で、完成するのに、およそ15分かかります。私たちは、典型的な人の精神活動はどういうものかについて、より正確な姿を得るために、回答者の記録を匿名で記録しています。
 最後に、頭に入れておくべきべきことは、たとえその得点が99パーセントであったとしても、それであなたが認知症にならないことが保障されたわけではないことです。その意味とは、おそらくあなたは、認知症となる危険を減らすため、人間としてできうる限りのことに取り組んでいるということです。


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